葬儀に関するサイトfuneralservice
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葬儀のこと

私たち人間は、友人や知人、身内の方など親しい人達の「死」は避けて通ることができないのです。人間であれば、誰でもいつかは直面する場面なのです。そしてとても悲しいその出来事は、突然の事故、あるいは病気などで訪れる場合もありますから、いつどこで何時に起こるなどと正確に予想することは不可能なのです。親しくしていた人の突然の「死」によって悲しみに暮れる時間もないまま、更に故人の親族だった際は、分からない葬儀の対応にパタパタしたり・・・。気が付けばいつの間にか葬儀が終わってしまっていたなんてこともよく耳にします。だれでも、突然の不幸というものには弱く、落ち込んでしまう物なのです。だから、なるべく葬式にはあまり携わりたくないと考える方もたくさんいるでしょう。
ですが、万が一、自分の周りの誰かが亡くなってしまった場面に出くわしてしまった時、自分が何をすればいいのか、何をすべきなのか全く分からずに、混乱してしまって右往左往してしまうことは葬儀に関して事前の知識がない人ならしょうがないとはいえ、葬儀の際、故人に対して偲ぶことの他には何もできないと言う状況はよけいに悲しくなってしまいます。
少し前までなら、地域の世話係として認識されている人や、人生の先輩であるご老人の人達などが葬儀に関しての多くの知識と経験があり、万が一、迷った状況になってしまった場合でも、その人達に聞けば知っていますから「なんとかなる」という安心感がありました。ですが、人と人とのつながりが薄くて、疎遠になってきている今、葬儀で問題に直面した際に、どなたに相談していいものかと不安なる人が増加しつつあります。葬儀は埼玉や千葉、大阪に関わらずどこでも方法は同じです。「葬儀で失敗することはだめ!、しかし葬儀の基礎知識は薄く、頼りになる存在も周りにいない・・・」そんな人達の為に少しでも、お役にたてればなと思って葬儀の基礎知識を管理人の私が知っている範囲でお話していこうと思います。葬儀というものは、地域や宗教等によって、その方法や思考などに多少の違いがあると思いますが、一般的な基礎知識、葬儀の流れや服装・マナーなどを身につけてもらえれば光栄です。

 

突然の訃報・・・そして心構え

人間が亡くなるというケースは、病気、または、事故などといろいろんな状況が要因となりますが、一番多いのは、病気などによって病院で息を引き取る方と言われています。そして、病院で亡くなられた際は、入院費の清算をはじめ、ご遺体の搬送だったり、市役所への死亡届けの提出や親類縁者への報告の連絡、そして葬儀会社の手配などやらなくてはならない事が山ほどあります。そして、特に葬儀の手順について慣れない人にとってはまず何からやればいいのかをしっかりと判断できない状況になってしまう・・・と言う事態がよくあります。もちろん、自分の親しい方が亡くなってしまうのですから、大きな悲しみに襲われいつものような冷静な判断ができないのも無理はありません。ですが、葬儀の際は、無理にまで気持ちを冷静にさせて、テキパキ葬儀を済ます必要はないのです。「急がば回れ」ということわざにもあるように、焦っている場合や、落ち着かない場合だからこそまず、冷静にして、ゆっくり、ひとつずつ物事に対応していくことが大切なのです。

 

葬儀の目的

葬儀を行う目的というのは、家庭や人によっても大きく違ってくるのではないでしょうか?
例えば、亡くなった人のために葬儀を行うという意見もあれば、残された家族のために葬儀を行うという意見もあるのです。そして、社会的なお別れの儀式として葬儀を行うべきであるという意見もあります。このように葬儀には様々な考え方があり、こうしろという絶対的なものは存在しません。ですから、最近は喪主の方やご遺族の方のご希望等があればそれに従いながら葬儀が行われています。

どんな目的であっても、最終的に「葬儀をやって本当に良かった」と思える葬儀こそ意味のある葬儀だと思います。

仮に、葬儀を通して亡くなった自分の父親が、多くの人達に慕われていたんだという事実を知ることができ、更に父親に対して尊敬の意を示し、自分自身のこれからの生き様を父親のいままでの人生に恥じないものにしていこう!と自分が思えた葬儀には深い意味があるでしょう。

命のはかなさ、尊さを実感して、より充実して生きていこうと思うことや命の重さ、大切さを学ぶなど、様々に葬儀が行われる事によって生み出される価値があるのです。だからこそ、文化としていままで、葬儀という儀式が受け継がれているのだと私は思います。

ですが、残念なことに多くの人達が、営利目的の心無い業者による愚行影響のせいか、形骸化した意味を持たない儀式という風にかんじているような傾向にあります。

私たち日本人は世界でも高い倫理観を持っており、相手の気持ちを考えることのできる人種だとされています。これらは、葬儀、そしてお墓、仏壇などといった手を合わせるといった文化が下支えしている部分も多いでしょう。だからこそ葬儀が軽んじられてしまえば、ますます日本人の倫理観なども低迷してしまうのではないでしょうか。

葬儀は、決して大金を使って派手にやる事がよいという訳ではありません。一人の大切な命が亡くなった事に対し、しっかり向き合い、その悲しい出来事から何かを感じて学ぶ場所として葬儀が存在するものだと思いたいですね。

 

葬儀を行う論理

どうして、私たち人間は、葬儀をおこなうのでしょうか?ごく当たり前のように葬儀を行い、理由を考えることはしないかもしれないでしょう。ですが、実際に考えてみると、葬儀には深い意味合いがあるということに気づくでしょう。

 

1.心理的観点から行う葬儀

死というものは、とても不条理なもので受け入れにくいものですが、どこかで決別をしなくてはいけません。その区切りとして葬儀を行う。そして、最後の別れ際にして何かをしてあげたいという心の拠り所として葬儀を行う。

 

2.宗教的観点から行う葬儀

亡くなった人の「霊」をなぐさめるという意味の儀式として葬儀を行う。

 

3.物理的観点から行う葬儀

亡くなった人を火葬することにより「、視覚的に去りゆく者との決別を葬儀として行う。

 

4.社会的観点から行う葬儀

死亡届けを提出し一連の行政手続きなどにより、社会の中で生きていた人が、社会の中からいなくなったという手続きを葬儀として行う。

 

現在は、多くの人の価値観の違い、宗教ばなれ、マスコミの影響、さまざまな事情などあって、葬儀をせずに無宗教形式や火葬だけで見送るという人達が増えてきているそうです。
そしてこれらは、亡くなった人の遺志であったり、状況を鑑みてのことだと思います。だからこそ、簡単に一概にはいえるものではありませんが、どんな形でも葬儀を行うことにより、一つの心の区切りになったり、故人に最期にしてあげれたと、自分の心のどこかに納得させられるものとして理由付けができるものが葬儀であることもまた事実です。葬儀の大切さ・・・少し考えてみませんか。

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